原稿を書く前に ―弁論と出会った後輩たちへー

 

森 一 陽

 

いろいろなご意見があると思いますが、私は弁論を最も短い言葉で表現すれば「ほとばしる情熱」だと思います。それが喜怒哀楽どの感情でも構いませんが、弁士の内面からあふれ出すような情熱がなければ聴衆を感動させたり審査員を納得させたりすることはできないと思ってください。

 

何について原稿を書くか。この主題(テーマ)の選び方が最も重要です。日常生活で常に問題意識を持ち、政治や社会問題に対しても自分たちを取り巻く様々な出来事に対しても、これは原稿のネタにならないかと常に考える癖をつけてください。更にそれを批評するのではなく自分なりの解決策を導き出す癖もつけてください。聴衆が求めているのは批評家でもコメンテーターでもありません。聴衆が納得できる論旨が原稿には求められています。

 

独創的で世間にあまり知られていないことを主題にした方が聴衆を引きつけやすくなります。よく知られていることを主題にするのであれば必ず他人とは違った切り口で論旨を展開してください。誰もが知っていることを当たり前に論じることは親からうるさく勉強しなさいと怒られるようなもので、聴衆は「そんなことわかってる」と言いたくなります。

 

なぜその主題を選んだのかを聴衆に理解してもらう必要があります。自分が体験したことであれば、その体験によってどう感じなぜそれを訴えることにしたのか、それが誰もが知る社会問題であったとしてもではなぜそれを主題として選んだのかをまず聴衆に理解してもらうことで、その後の論旨の展開に説得力が増します。

 

原稿を書く時には例えば起承転結といった構成が必要となります。起承転結とは例えれば四コマ漫画のようなものです。「起」で設定の説明をして、「承」でそれを引き継ぎながら発展させ、「転」では視点を転じることにより盛り上げて、「結」で締めくくることとなります。これは同じ内容を何度も繰り返すことを防ぐ意味でも必要ですが、「承」で論じた自分の意見を「転」で視点を変えたり別の例を出したりすることによって結論に厚みを持たせる効果もあります。

 

起承転結の中で特に重要となるのが「起」と「結」、つまりつかみと落ちです。第一声から聴衆に興味や期待を持たせることがとても重要であり、「承」と「転」の論旨の展開で聴衆を引きつけることができたら、「結」で聴衆を感心、納得或いは満足、そしてできれば感動させる結論が必要となるのです。

 

原稿は論文ではありません。難しい言葉や言い回しは目で読めば理解できても耳で聞くとわかりづらいことがあります。どんな難しい内容を論じていたとしても、それをどうやったら少しでもわかりやすく伝えることができるのかに重きを置いてください。そのためには時には長い説明を繰り返すよりも、印象的な短いセンテンスを効果的に使うことが大切となります。

 

良い原稿を作るためにはいくつかの方法がありますが、そのひとつは予定の枚数よりもあえて多めに書いてから推敲を重ねて不要な部分をそぎ落としていくという方法があります。それまで自分が重要だと思っていた部分もこうして推敲を重ねることでそうでもないことがわかったり、もっと良い表現が見つかったりするようになります。制限時間で限られた原稿の字数はそのひとつひとつが貴重なものであり、字数を満たすために継ぎ足したものであってはなりません。弁士にとっての原稿は武士の刀と同じです。何度も打ち直して余分なものを弾き飛ばした鍛錬を重ねた原稿を作り上げてください。

 

他には主題を決めたら原稿を書く前にそれについて仲間と議論をしてから原稿を作る方法もあります。もちろんできあがった原稿について意見を聞くことも良いのですが、その場合のデメリットとしては意見を聞く相手も元の原稿を活かした範囲で意見を言うこととなり、思い切った意見を聞けなくなります。主題が決まった段階でこれについてこうした原稿を書こうと思うがそれについて意見はないかと議論をしておけば、相手からも何もない状態で意見を聞くことができるので論旨の展開で幅を広げることができます。

 

傾向と対策。以前発売されていた有名な参考書シリーズの名前ではありますが、これも主題を選んだり原稿を作成したりするうえでとても重要な要素ではあります。この大会ではどんな主題や結論が評価されているかといった卑近な意味合いも実は重要であり、そこから視野を広げて他の大会では或いは今の時代ではどんな弁論が評価されているのかを知ることで、それを参考にするにしてもそこにない新鮮なスタイルを目指すにしても自分以外の弁論を知ることはとても重要です。他の弁士の弁論をよく聞くことや、機会があれば入賞原稿やそうでない原稿もたくさん読むことが自分自身の知見を広げるために重要であり、独りよがりの弁論になることを防いでもくれるのです。

 

比叡山に行くと「一隅を照らす」という開祖最澄のお言葉を目にします。正確には「一隅を照らす、これ則ち国宝なり」というお言葉で、片隅の誰も注目をしないことにきちんと取り組む人こそ尊い人であり、誰もが自分の持ち場でその責任を全うすることができればその周りはだんだん明るく照らされることとなりその輪は更に広がっていくという意味でもあります。

 

最初に弁論は「ほとばしる情熱」であると申し上げましたが、沈黙は金、雄弁は銀ではありません。真の雄弁こそ金であると言えます。弁士それぞれが自分の立場で感じたその思いのたけを自分の言葉で誠実に訴えることがそれを聞いた人たちに影響を与えそこから生まれた広がりが、世界の平和を守り、ひとりひとりの人権をも守ることに繋がるのです。