弁論を志す人のために

日本弁論連盟顧問 新田 修

 昨年の11月、日本弁論連盟の白馬秀孝事務局長より「弁士にとって参考になるような新田先生の考えを書いてもらえないでしょうか」との依頼があり、これからの次代を担う若い人達の少しでもためになるのであればと考え、文章書くことを最も苦手とする老翁が恥も外聞もなく引き受けた次第です。
なお、本ホームページに「初めて弁論を学ぶ人のために」というタイトルで現役時代にまとめたものも別途掲載されていますので、ご覧頂けると嬉しく存じます。

 雄弁家で知られる、アメリカの第28代大統領ウイルソンは、「1時間ぐらいの長さだったら即座にできる。20分ほどなら2時間の準備がいる。5分という短い演説には、最低1日の準備がなくてはとてもやれない」と語ったそうですが、定められた時間内で、心を伝えることの難しさを、これほど端的に表した言葉もないかと思います。
 弁論は思考力、文章力、表現力の3つを必要とする7分間の芸術であり誓詞です。弁論を志す弁士の皆さんは、この7分間の芸術に、青春のすべてを懸けるわけです。

 
1弁論指導者として
 

毎年、新年を迎えると部員を私の家に招いて贈ることばがある。

      一つのことばで    喧嘩して

      一つのことばで    仲直り。

      一つのことばで    涙を流し

      一つのことばで    笑い合う。

      一つのことばで    褒められて

      一つのことばで    泣かされた。

      一つのことばで    それぞれに

      一つの心を      もっている。

 そして、卒業生の送別会を開いて部員へのメッセージを贈るのである。

      二十一世紀を生きる弁論部員よ        君達を愛おしく思う私は願う。

      元気に逞しく育ってほしい。         命を大切にし、人を思いやれる

      人間の心を育んでほしい。          君達が生きるこの時代

      不況・失業が人々を襲い、          社会全体が閉塞し、息苦しい。

      国は二十一世紀社会のビジョンを       示し得ないでいる。そして、

      このかけがえのない地球も          心ないもののために あえいでいる。

      そんな時代だからこそ            しっかりと学び、力を蓄えよ。

      まじめに働き 生きる一人ひとりの人間を   絶対におろそかにしない 社会の建設のために。

      やがて君達が成長し、立派な社会人になるまで 私達が君達を守り、支えるから。

      そのあとは頼む。              さらば弁論部員よ、我が後輩よ。

      また逢う日まで。

 万感胸に迫るものを堪えながら、一人ひとりと拍手を交わす。

 定年退職までの四十年間、欠かすことのなかったこのセレモニーが、喜寿を迎えた今にして思えば私の弁論指導者としての

 誇りと言ってよいであろうか。

 私は大会に出場する部員に、練習時の心得として以下の5ヶ条を厳しく指導しました。 

   一、「一言入魂」を決して忘れぬこと。

   一、「温かさ」と「情熱」そして「笑顔」と「凛々しさ」を決して忘れぬこと。

   一、「文章」の裏側に隠されている内容をイメージして訴えることを決して忘れぬこと。

   一、「聴いて戴く」という謙虚な気持ちを決して忘れぬこと。

   一、練習で泣いて、本番で笑え。

 弁論は単なる「ことば」のキャッチボールではなく、「こころ」のキャッチボールでなければなりません。同時に、自分の体験談だけではいけないということです。発表する内容がどんな意味を持ち、それが社会とどうかかわるかを論じなければ、単なる生活体験発表に終わってしまうからです。

つまり、弁論はまさしく誓詞でなければならないのです。

 もがき、苦しみ、葛藤しながらも他人への思いやりの心を持ち、自分としっかり向き合って力強く生きていこうとする気概がなければ聴く人の魂を揺さぶることはできないということです。

2弁士に望むこと
 

「全国青年弁論大会」には、中・高・大・社会人の年齢幅の広い弁士が出場しますが、弁士である前に一人の人間として考えれば望むことは全く同じで三つのことを指摘しておきたいと思います。

 一つ目は、人を思いやる心を持つ人間、人の心の痛みがわかる人間になってほしいということです。そのためには人の話に耳を傾け、多くの本にふれ感動し、心豊かな人間になる努力をすることです。

 二つ目は、それぞれの立場で友情を育み、生涯の友を作ってほしいということです。人生で一番大切なもの。それは財産でもなく、名誉でもなく、地位でもない。まさかの時に親身になって自分を助けてくれる友人。これが最大の宝だと私は思っております。そして、

 三つ目は、自分の人間性を思う存分発揮してほしいということです。ある者は学業に、そしてスポーツに、またある者は文化・芸術に。何かを追い求め、挑戦し、熱き青春を燃焼してほしいということです。たとえそれが、遅咲きの花であってもよいのです。いつ、いかなる場においても、それぞれの立場で培われた基礎力が次の時代に或いは生涯を通じて見事に花を咲かせ、世のためになる人間に育っていかなければならないということです。

3弁士として知っておいて悪くない「チョッといい話」
 

 私の77年の人生で弁論にかかわった年数は、弁士・審査員合わせて約65年間におよびますが、その中で学んだ、めったに聞けないチョッといい裏話をしましょう。

 出場する弁士は、自分が審査員になったつもりでやりなさい。とはよく聞く話ですよね。そこで、審査員も人間ですから、30人~40人も審査すると段々疲れてきます。中にはウトウトしているように見える人もいないわけではありません。では、そうさせないために皆さんはどうしたらよいのでしょうか。

 一人の持ち時間は7分ですよね。昔は7分のリン(鈴)が鳴ると同時に弁論を終えるのが最高の弁論と言われたものです。勿論、論旨もそれだけたくさん書くことができる訳です。しかし、それは決してベストだとは言えないと思います。何故なら、先にも述べた通り色々な審査員がいるからです。

 6分で一鈴が鳴ります。それで、おもむろに採点表と睨めっこして書き込む審査員がいるかも知れません。ですから正直に申しますと、時間は6分30秒あたりで弁論が終了するのがベストと考えます。従って一鈴が鳴った時(6分)に自分の論旨の最大の山場を設定することが肝要と考えます。あとの20秒~30秒で結論を導くようにすればよいのです。つまり、論旨は400字詰め原稿用紙4枚半弱あれば十分なのです。そして、論旨の半分ぐらいで第一の山場を設定して、審査員の心を掴むことです。

 第一声が大事ですよ。結論を最初に持ってきてもよいでしょう。演題で審査員に「この弁士、何を語るつもりなのかな?」と思わせるのも一つの手段として面白いかも知れません。

4日本弁論連盟の今後に期待すること
 

 想えば今から30年程前になりましょうか。今は亡き足立原茂徳先生と橘高祐高先生に当時、厚木市長をされていた足立原先生の計らいでご一緒させて頂いたことがありました。これからの全国の弁論界をどう維持し発展させていけばよいのか。忌憚のない意見を交わし、深夜まで熱く語ったことを77歳の喜寿を迎えた今、昨日のことのように思い出されるのです。偉大なお二人の先生とお話しさせて戴いたこと、その後の私の人生にどれ程プラスになったことでしょう。お二人のご冥福を心よりお祈り申し上げる次第です。

 さて、今後に期待することを若干述べさせて頂きます。

  • 弁論研究会を是非復活させて頂きたいということです。活性化の大きな要因になると思うからです。青年弁論大会の前日に開催できないものでしょうかね。
  • 1年に1度、日本弁論連盟のコミュニケーション活動や情報活動を兼ねた冊子の発行を企画できないものでしょうか。それなりの予算が必要になりますが、手作りでもよいと思います。

 以上2点、厳しい状況であることは重々承知しておりますが、一応ご検討してみてほしいと願っております。

 最後になりますが、日本弁論連盟の更なるご発展と皆々様のご繁栄をお祈り申し上げ、私の拙い文章を閉じることに致します。ありがとうございました。