「音のない世界から、伝えたい」

愛知県 齋藤凛花

「私の名前は齋藤凛花です。よろしくお願いします」
皆さん、私の声が聞こえなくて驚きましたか?マイクが故障したんじゃないかと思いましたか?
実は、私はいま皆さんが体験した、音の無い静かな世界に住んでいます。私は生まれつき感音性難聴という障害で、両耳とも全く聞こえません。人の話し声や音楽はもちろん、車のクラクションや飛行機の爆音でさえも。
2歳のときに「人工内耳」という手術をして、耳に小さな機械をつけているので、今は皆さんの声も聞きとれるようになり、訓練のおかげで話せるようにもなりました。でも、機械をつけているのは左だけ。
右から話しかけられても全く聞こえませんし、機械をつけている左耳でも、たくさんの音やスピーカーからの音は上手に聞き取れません。そして、機械をとると、先ほど皆さんが体験した、音の無い静かな世界が訪れます。日常生活でも、プールの授業やお風呂の時間、そして寝るときは機械をとるため、全く何も聞こえず、目ざまし時計の音も聞こえません。
両親は、私の耳の障害がわかった時、なぜ、うちの子が。世の中はこんなにも音であふれているのに、この子は音楽を楽しむこともできなければ、話すこともできず、一生「ママ」と呼んでくれないのか、と嘆き悲しんだそうです。
病院や学校をいくつも通い、手話や、口の動きを読む口話、そしてひらがなカードを使って言葉を覚えて声に出す訓練を、来る日も来る日もやりました。声を出すなんて、当たり前の簡単なことに思えますが、音が入らないから、自分が声を出しているかもわからず、発音も上手にできませんでした。
幼稚園に入っても、友達や先生の話がまったくわからない私は、すぐに癇癪を起こして友達に手を上げたり、いつもイライラして周りに迷惑ばかりかけていました。みんなが何を話しているのかわからない。何より、自分の思っていることがきちんと伝えられない。それはとても辛い世界でした。
そんな私を救ってくれたのは、私にわかるように、目を見てゆっくり話してくれた先生や、私の思っていることをくみ取ってくれ、粘り強く言葉を教えてくれた、家族や友達の存在でした。そのお陰で、少しずつ言葉と発音を覚えることができました。
でも、できないこともたくさんあります。イヤホンで音楽を楽しんだり、流行りの日本映画も聞き取れません。何より大勢での会話についていけない。聞き直せばいいのですが、場の空気を白けさせてしまうのが怖くて、相槌を打ち、曖昧にほほ笑む。私は疲れ果てていました。
そんなある時、駅で外国の方に道を聞かれました。とても困っている様子のその女性に、拙い英語と身振り手振りで行き先を伝えると、何とか伝わったのか、本当に嬉しそうに「Thank You」と言ってハグしてきたのです。恥ずかしさと誇らしさに包まれながら彼女を見送り、ハッと気づきました。私が経験してきた心細さや不便さは、日本語がわからない外国の方と同じなのではないかと。そして、言葉は通じなくても、気持ちは伝わるのだということを。
それ以来、私は目を背けていた自分の聴覚障害について、そして日本に来る外国人について調べるようになりました。もちろん、障害の度合いや言葉の習熟度によって違いますが、困ることは同じで、情報がわからないこと、そしてコミニュケーションがとれないこと、でした。NHKが聴覚障害者に、どんな場面で困るかを調査したアンケートでも、電車内のアナウンスが聞き取れないことが1位でした。電車が急に止まってアナウンスが流れても、私たちはうまく聞き取れず、何が起こったのか不安になります。それは外国の方にとっても同じです。
もっと日本に観光に来てもらおう、と国を挙げての「ビジットジャパンキャンペーン」が始まったのは2003年。その時、一年間に訪れる外国人観光客の数は500万人でした。その数は増え続け、去年は2800万人にのぼり、2年後の東京オリンピック、パラリンピックの時には4000万人を目標にしています。海外で日本の良さをPRするのも大切ですが、実際に日本に訪れた人たちが困ることを解決することを、もっと考えるべきではないでしょうか。誰かにとって不便なことを、「想像力という優しさ」で解決することを。
いま私は、音楽の授業のとき、そっと背中に手を添えてリズムをとり、不便さを一緒に解決してくれる友人に囲まれています。そして、日本語さえできなかった私は、発音を教えてもらいながら、英語の勉強を続けています。聴覚障害者として、そして同じように情報が入りにくい外国の方にとって、私だからこそ何かできるのではないかと考えるようになったからです。
ひとりひとりの想像力という優しさが積み重なって、誰にとっても暮らしやすい世の中になって欲しい。これが、音の無い世界に生きる、私の願いです。