神奈川県横浜市栄区飯島町489-1

第62回大会最優秀賞

昭和31年(1956年)から続く日本語による弁論大会です。

「平和への祈りをカタチに~長崎の平和教育をひきつぐ~」

長崎県 浦田詩織

今年の3月末、私は長崎新聞一面の見出しを見て衝撃を受けました。そこには、「核兵器禁止条約に日本不参加」、「ナガサキの怒り」とありました。日本政府はニューヨーク国連本部で行われた「核兵器禁止条約」制定を目指す交渉会議に代表を送らなかったのです。なぜ日本はこんな重要な会議に参加しなかったのでしょう。政府は、核保有5大国がこの条約に参加せず、しかも日本がアメリカの核の傘に守られていることを考慮したのかもしれません。しかし、果たしてそれでよいのでしょうか。世界唯一の被爆国日本が先頭に立たずにどうやって核廃絶していくというのでしょう。私は、怒りや虚しさを感じると同時に、他方で、政府にそういう態度を許しているのは、核兵器に対する私たち国民の関心の低さではないかとも思わずにはいられませんでした。北朝鮮の核開発に対しては国難だと声を大にして批判し、オバマ大統領の広島訪問には歴史的瞬間だと感動を覚えたメディアや大多数の国民。それにも関わらず、現実に核廃絶に向けて大きな一歩になりうる核兵器禁止条約に日本が参加しないことについて、日本全体としては大きなニュースにならなかったのです。これで果たして、本気で核廃絶を目指している、私たち日本人にその強い意志があるといえるでしょうか。
私はまず、日本国民の核兵器に対する現在の意識がどのようなものであるかを知りたいと思いました。そこで山口大学の学生に、原爆への知識関心について、アンケート調査を行いました。205枚のアンケート用紙を回収することができましたが、その結果は衝撃的なものでした。広島、長崎に原爆が投下された日と時間を正しく答えた人は3割もいませんでした。さらに、広島県、長崎県以外の出身者では1割もいなかったのです。それは、長崎で平和教育を受けてきた私には思いもよらない結果でした。正直なところ、ここまで関心が薄いとは思ってもみなかったのです。大きな危機感を感じた私は、さらに、チューターをしている小学3年生のクラスで、8月6日と8月9日は何の日でしょう?と問いかけてみました。答えられた子どもは片手で数えられるほどでした。今、私の前にいる子どもたちは、「水をください、水をください」と苦しみながら川近くで死んでいった人々、黒焦げになったわが子を抱きしめて泣いた母親を知らないのです。そして、原爆の犠牲者に手を合わせることもないのです。現在の日本では、原爆はもう昔話になりかけているのではないでしょうか。核兵器の悲劇とは、実は昔の他人事ではなく、今もなお身近にある危機なのに、そのことを現代の日本人は忘れているのではないでしょうか。今、ここで、どうにかしなければならない。何か行動を起こさなければ、日本は本当に核兵器の恐ろしさを忘れた国になってしまう。私は、今更のように強い危機感を覚えたのです。
そこで、私は、小学校の読み聞かせボランティアで「まっ黒なおべんとう」という絵本を読んでみることにしました。それは、広島で建物疎開の作業に出掛けたしげる君が、2日後、まっ黒なお弁当を抱いた骨の状態でみつかったという話です。読み終えたとき、教室は深い沈黙に包まれました。私は子どもたちにこう語りかけました。「しげる君のお弁当箱は今、広島の原爆資料館に展示してあります。しげる君のようにたくさんの人が原爆で亡くなりました。8月6日の広島原爆と9日の長崎原爆の日にはこの話を思い出しながら黙祷してくださいね」。夏休みが明けて、再び小学校に行ったとき、1人の男の子が声をかけてくれました。「先生! 8月6日と9日はテレビの前でお母さんと一緒に黙祷したんよ」。とても嬉しい一言でした。こんな平凡な大学生の私にもできることはあったのです。

私は被爆地長崎で生まれ育ち、先生方からは「原爆の悲惨さを将来に伝えていくのはあなたたちだ」と教わりました。私自身、近い将来小学校教師になっているでしょう。私もまた、原爆の恐ろしさや悲惨さを教室で語り、子供たちと共に考えていく教師になりたいと思っています。それが私の使命であり、核廃絶への一歩となると思うのです。それだけではありません。私が、今、ここでこうやって演説を行っているのも、それが私にできる核廃絶に向けたささやかな取り組みだからです。私は、皆さんに訴えたい。一人一人が自分にできる行動を起こしていきましょう。一人の行動は微力かもしれません。しかしそれは決して無力ではないのです。行動する人が増えれば、それは必ず核廃絶に向けての強く大きな歩みとなるはずです。決して核廃絶を夢物語にしてはならない。どんな小さなことでもいいのです。私たちのこの手で核廃絶を現実のものにしていきましょう。もう二度とヒロシマ、ナガサキの悲劇を繰り返さないために。