神奈川県横浜市栄区飯島町489-1

第61回大会最優秀賞

1956年(昭和31年)から続く日本語による弁論大会です。

最高の一球

宮城県 今野 泰齊

「九回の裏ツーアウト。たとえどんなに追い込まれたとしても、私は誰にも負けない一球を持っている。」
私は生まれつき障害を持っています。それは私から全てを奪っていきました。自由も友達も、大好きな野球も。ゴールの見えない入院生活は長期に及び、手術は六回。足には運動麻痺があり、みんなと同じようには動けない。野球がやりたい、そんな気持ちを車イスで思っても。私の心は、荒んでいきました。「病気さえなければ」何度も何度もそう思いました。そして私は、本当は友達である障害者にいじめをしてしまいました。「俺たちは生きていても意味がないだろ」どんなにリハビリを頑張っても、どんなに手術を受けたとしても、健常者には決してなれない。行き場のない怒りを抑えられませんでした。それでも家族や周りの友達は私に手を差し伸べてくれました。障害がある私を受け入れてくれました。野球なんかできっこないのに続けさせてくれました。たくさんの愛に支えられた私は、病気に負けず、今は高校の生徒会会長として学校を引っ張る存在になっています。
さて、みなさん。今の話を聞いて何を思いましたか。「病気辛そうだな」「足が不自由なのに頑張っているんだな」、「感動したなあ」。みなさんがそう感じたのは、私が障害を持っているからですか。もし、「私はこの人より恵まれている」という気持ちがどこかにあるのであれば、それは差別に繋がると思うのです。
私たちは、障害者が努力することを感動的な美談にしがちです。それは、私たちの心のどこかに障害者=可哀想という認識があるからではないでしょうか。そしてこの一方的な考えが、あの惨い事件の引き金となったのではないでしょうか。戦後最多、十九名の犠牲者を出した相模原障害者施設殺傷事件。それは、偶然ではありません。起こるべくして起きた事件なのです。犯行の動機は「不幸を減らすため」彼の思想は極端で、異常に感じるかもしれません。しかしそれは、「障害者は健常者より不幸」と無意識に考えてしまっている私たちと、根底にあるものは同じだと思うのです。私は、「感動する」ということは素晴らしいことだと思います。けれども、体が不自由なのにという理由であれば、差別的で失礼な感動だと思うのです。
私も以前は自分のような障害者を可哀想で不幸だと決め付けていました。自分だけ野球ができなかった日々。落ち込み、沈んでいた私ですが、大好きなチームメイトを応援することは、苦しみではありませんでした。たとえ自分ができなくても仲間の喜びを、心で感じることはできる。プレーをすることが全てじゃない、私なりの野球を探せばいいのだと、思うようになりました。
生まれ持ったものは平等ではありません。それなのに私たちは体の機能や能力で、その人が幸せかどうか、決め付けがちです。けれども私は、心だけは平等に与えられていると思うのです。たとえ今歩けなくなっても、この声を失ったとしても、心さえあれば人は強く、強く生きてゆける。心が平等に与えられた私たちは、いつだって自分次第で幸せになれると思うのです。心で感じ、繋がることには障害や不自由などないのです。
世界に目を向けても同じです。現在、文化や宗教などの違いにより、争いや、はたまた戦争が起きています。相手の価値観や違いを理解しよう、確かにそれは大事なことです。
しかし私たちは、環境や文化は違えども、同じ心を持っています。いくつも異なった愛や正義は、何かを守り、信じたいという思いから発しているという点からすれば、根底にあるものは同じはずです。それを私たちは、同じ心を通してなら、理解できます。真の理解はそこにあるのではないでしょうか。平和は、私たちにその心をずっと求めているのです。
健常者と障害者の間には、いまだに厳然として立つ壁があります。これからの社会で私にできることは、この体に誇りと感謝を持ち、力強く生きていくことです。社会からすれば、ただの一人の障害者かもしれません。でも決して可哀想でも、不幸でもないことを、堂々と生きることで社会に主張していきます。
私は今も野球を続けています。選手ではありませんが、支える立場として、仲間の喜びを心で感じています。そんな私なりの形で野球ができていることを、幸せだと思っています。
足が悪くて一アウト。不幸と決め付けて二アウト。だけどまだまだ。最高の一球は、心(ここ)にある。