神奈川県横浜市栄区飯島町489-1

第59回大会最優秀賞

昭和31年(1956年)から続く日本語による弁論大会です。

おばあさんも山に柴刈りへ

千葉県 西澤 由佳

「早く結婚した方がいいんじゃないか」ご存知の方も多い都議会の野次問題。この発言が女性差別だと強く批判されました。言われた女性は妊娠、出産、不妊に悩む女性への支援の必要性を訴えていたのにこんなことを言われ、とても嫌な思いをしたのではないでしょうか。ですが、もしもこの「早く結婚した方がいいんじゃないか」という発言を女性が女性に向かって発言したとしたら、皆さんはどう思いますか?もしも、女性がこのようなことを言った場合、この場合でも「それは女性差別だ!」と言われ大きな問題になったでしょうか。女性差別がメディアに大きく取り上げられる中で、男性が女性を差別していることが大きな問題になっていることは確かですが、男性が優位の社会の背景には、女性自身の女性に対する意識も問題として存在するのではないか、私はこの時そう思ったのです。

保健の授業のときのことです。「将来どんな人と結婚したいですか?」と先生に問われたことがあります。「イケメンで、優しい人!」「健康的で、面白い人!」そんなさまざまな意見が出ましたが、一番多かったのは「幸せにしてくれる人」でした。この言葉を聞いたとき、私は釈然としませんでした。「幸せにしてくれる人」と答えた人達は皆どこか他力本願のような気がしたのです。「幸せにしてもらう」という受け身の考えは、男性の「女性は家にいて男性を支えるべきだ」という考えに賛同しているように感じたのです。私の通う女子校の生徒ですら「男は社会で」「女は家庭で」という意識を持っているのです。ましてや男性の「家事は女性の仕事」という意識が変わらないのはこういった女性側の意識にも問題があるのではないでしょうか。そしてそんな意識こそ女性が女性差別を助長しているのだ!と私は思います。

例えば、カレールーの広告や洗剤のCMでは若い奥さんが家族のために幸せそうに家事をしていますよね。でも、家事は「労働」です。家族とか愛とか、そんな上辺だけの言葉で片方に押し付けることではありません。家事労働は生きていくうえで必要なことなのですから、本来「家族みんなで」やるものです。家事は女性が主体になってやることが当たり前、嫁になることは家に入ること、子供の育ち方は母親の責任などの昔からある古い考え方は未だに残っています。でも今は、昔のやり方で生活するとやがては追い詰められてしまいます。何でもかんでも自己責任。雇用も厳しい時代に収入をどちらか一方のパートナーに頼るなんてリスクが高く、ともに働けるのであれば二人で働くのが自然な考えであり、そうなると家事労働も「出来る方がやる」それが自然なことなのです。女性が発言権を得られないままの社会や政治では、女性の意見が反映されない社会が続いてしまいます。家族皆で家庭を作っていくように、男性と女性の両方の意見が反映される社会をみんなで作り上げていくべきではないでしょうか。

「女は女らしく」「男は男らしく」とか「男は仕事、女は家事」という言葉があります。これは固定的でとても窮屈な考えだと思います。そしてその苦しさは男女どちらも変わりありません。だからこそ「女らしさ」「男らしさ」に捕らわれず、どちらも等しく「自分らしく」いられることが保障され、一人の人間として輝いていける、そういう社会に変わらなくてはいけないと思うのです。私たちはまず、性別の差による捕らわれた見方や考えを捨て、「自分が自分らしく」あるために互いを認めあっていかなければならないのです。

服装や職業は、一般的な男性と一般的な女性に相応しいものが人々の認識の中で決められています。身体のつくりの違いはどうしようもないものであって、そのための役割分担は必要だと思いますが、それ以外の行き過ぎた役割分担や扱いの差はなくし公平にするべきではないでしょうか。

昔話で有名な桃太郎のフレーズ「おじいさんは山に芝刈へ、おばあさんは川に洗濯へ。」もしもこれが逆だったら…? おじいさんが川へ洗濯に行き、おばあさんが山で芝刈りをする…そんなことが、自然にできる社会を想像してみてください。川へ洗濯に行くか、山へ芝刈りに行くかを選ぶことのできる方が、男性も女性も自分が自分らしくいられる社会の方が、生きやすい社会だと思いませんか?