「ルワンダの明日」

東京都 伊藤 あかり

きれいに並べられた頭蓋 骨。散乱した骨。血の色が茶色くなり異臭を放つ衣服。それらのものが並べられた虐殺記念館で、私は何も感じることができませんでした。涙を流す友達の横で 遺品をじっと眺めても、それらは骨という物質にしか見えず、骨は何も語らないと冷めた目で見ることしかできなかったのです。
1994年4月。アフリカルワンダ。100日間で約100万人の犠牲者が出た大量虐殺が行われた地。そして今、当時の加害者・被害者は隣人として暮らし 和解に向けた運動が行われています。平和構築を勉強している私はスタディツアーという名目でルワンダという国を訪れることとなりなした。
12年前とはいえ、過去に虐殺があった地とはとても思えないほど発展した首都キガリ。しかし、一歩足を踏み入れれば「ギブミーマニー」とお金を要求する 子供達の姿。そこで、現地の大学生が「ストリートチルドレンはね、ルワンダではルワンルエージョと呼ばれているんだ。ルワンダの明日という意味なんだよ」 と私に教えてくれました。ルワンダの明日。虐殺でつらいものをたくさん見てきた彼らだからこそ築ける平和な未来をその言葉に託しているように感じました。 彼らに今の生活の様子、ジェノサイドの時の記憶などをインタビューさせてもらい、お礼としてお金を渡しました。しかし、それをめぐり殴り合いの喧嘩になっ てしまったのです。先進国の人からしてみればそれはわずか一ドルにも満たない、チップという感覚で渡すお金も現地の人にとっては大金。そのせいで楽にお金 を稼ぐことを自分で働くことをやめてしまう人が増えてしまう現状があると知りました。そのことを知り、写真やインタビューを撮ってその人のことや過去の暗 い歴史をわかったつもりになっているだけで根本の問題は見えていない、ストリートチルドレンをルワンダの明日とポジティブな意味に変えたところで現状は変 わらない。私たちが善意でやっていることがこの国を悪化させているのではないかと思ったのです。
そんな気持 ちのまま、孤児院を訪れました。虐殺や貧困の影響で両親のいない子供達。そんな暗い印象を持っていたのですが、着いてそうそうに子供達が寄ってきて元気な 笑顔を見せてくれました。特に、私の手をずっとにぎっているデポラという女の子がいました。彼女たちと楽しい時間を過ごし、いよいよお別れになった時、そ れでもデポラは私の手を離そうとはしませんでした。その時になってやっと私は気付いたのです。デポラの笑顔の裏にある孤独を。強さの裏にある弱さを。両親 をなくして、ずっと心からの笑顔でいれる子供なんているわけがない。そう思った時、前に見た頭蓋骨がとても現実的に感じたのです。あの骨がデポラの両親 だったら、あの虐殺のせいでデポラが今寂しい思いをしているのなら、もし、あの骨がデポラだったら、その時に、この国に関わってしまったことの責任を感じ ました。一人の人生に関わってしまったことの重要性に気付きました。ルワンダ人と日本人という関係から、デポラと私という関係になった時、初めてルワンダ という国についても見えてきた気がしました。
明るい笑顔を見て、虐殺は乗り越えたんだ、過去のことなんだと考えるのは簡単です。同時にアフリカ=かわいそうな地域と考えることも簡単です。でもそれ は表面をなぞったことに過ぎず見落としていることがたくさんあるのです。その見落としが悲劇を生んでしまうのだと実感しました。それらに対する責任はルワ ンダに対してだけでも、私だけのものでもありません。今世界で起きている惨状に無関心でいることは、もしかしたら将来友達になるはずだった子の命を危険に さらすことになるかもしれない。その時、知らなかった、日本では関係がないでは済まされないと思うのです。
「もしあなたが私を知っていて、あなたも私を知っていたら、こんな虐殺なんて起きなかったかもね」虐殺記念館に掲げられていたこの言葉を、みなさんもかみ締めて欲しいと思います。