「十八歳の私が本気で伝えたいこと」

埼玉県 麻生 高代

『さぁて皆さま。文明開化はエレキ応用活動大写真。花のパリかロンドンか、月が鳴いたかホトトギス、あらまちょいちょいゆでアズキ、南京豆の綱渡り』活動写真弁士の麻生子八咫でございます。
ところで皆さん、活動写真弁士というのをご存じですか。昔映画に音がなかった時代、無声映画、つまりサイレント映画に「語り」をつけたのが活動写真弁 士、いわゆる活弁士です。そして私も十歳のとき、活弁士としてデビューをしました。現在、高校三年生ですが、一方で活弁士として全国で活動しています。
私が活弁士となったきっかけは父にあります。父もまたプロの活弁士です。幼い頃から父の活弁を見て育った私は、しだいに“活弁の世界”に引き込まれてい きます。まるで父の「語り」によって映画が動かされているかのような錯覚にとらわれ、父の「語り」によって周りのお客さんが、泣いたり笑ったりと心動かさ れる様子は、幼心にもすごい!と感じさせられるパワーがありました。
小学四年生になったある日、「私も活弁士になりたい」と父に言うと、「子供の遊びじゃないんだ」と反対されました。しかし、それでも私が毎日毎日「やり たいんだ」と訴えると、それが通じたのか“毎日練習すること”と“最低五年間は続けること”という条件で、小学五年生のとき、浅草木場亭でデビューをさせ てもらいました。
そして現在、私はデビュー八年目を迎えております。活弁を通じて私はさまざまな人と触れ合い、多くのことを学んできました。小学生のとき、文字の練習と した父の台本を写していたこと、「聞こえないぞ」「やる気があるのか」という厳しい言葉に涙を流したこと、「ありがとう」「また来てね」などお客さんの温 かい言葉の一言一言に励まされ「次もがんばろう」と気合いを入れていたこと、学業との両立に焦りもがき苦しんでいたことなど、そのすべてが貴重であり、今 につながっていると思います。もちろん、つらいこともたくさんあります。そんなとき、私はチャップリンの映画を見ます。すると不思議と元気が出てくるし、 このすばらしさをより多くの人と共有したいと思えるのです。
もちろん現代のトーキー映画も大好きですが、私はサイレント映画にそれ以上の魅力を感じます。なぜ私がここまでサイレント映画に、ひいては活弁に魅力を 感じるのか。そこには確かな魅力があるのです。CGやスタントマンなどは一切使わないのですがだからこそ言葉では伝わらない、役者が生身で心を表現する演 技、体を張った演技は何ともいえない感動を与えます。そしてそのすばらしい映像に、弁士がいろんな語りをつけることにより、さらにおもしろく、さらに新鮮 に現代によみがえってくる―。これが活弁の何よりの魅力であり、醍醐味でもあります。
私はその活 弁を日本だけでなく世界へ向けて発信していきたいと考えています。欧米ではパントマイム文化が盛んだったので、活弁士は誕生しませんでした。つまり“活 弁”というのは日本独自の話芸の文化なのです。現代の恐ろしく、そして激しい世の中にいる世界中の人々に「活弁」を通して“話芸”の日本文化を紹介してい きたいと思っています。チャップリンやキートンをはじめとする心温まる名作の数々を、「活弁」を通して、世界の若い世代の人にもぜひ味わい楽しんで欲しい のです。チャールズ・チャップリンという天才が、また日本の伝統的話芸が、人々から忘れ去られていってしまうのはあまりにも悲しい。だから伝えたいので す。
その第一歩として、昨年の九月に英語での活弁公演をスタートさせました。そして今年の四月には、スリランカやエジプトなどにも行ってきました。特にスリ ランカでは、ガリガリにやせ細り、路上で悲しい表情を浮かべながら手を伸ばす子供たちを目の前に、自分の無力感を味あわされました。彼等にほんの一瞬でも 笑顔になってもらいたい。国を動かしたり、大量の物資を送ったりすることはできないけれど、私が生で見てきた“あの人たち”のために何かがしたい。そう思 わずにはいられませんでした。
私はもっともっとがんばって、人を幸福にできる活弁士になりたいと思っています。ここでひとつ私からお願いがあります。活弁を見もしないで「古臭い」 「ダサい」ものだと決めつけないでください。確かに一度は廃れた芸能かもしれません。けれど少なくともチャールズ・チャップリンはトーキー映画、いわゆる 現代の“声の出る映画”の進出にもかかわらず、最もサイレント映画を愛していました。“百聞は一見にしかず”ぜひ見にきてください。一生懸命がんばりま す。そして、もし気に入ってくれたなら、活弁というものをあなたの心の隅に置いてください。子供たちに話してあげてください。そうやってみんなで活弁を盛 りたてていきたい。十八歳になったばかりの私は、強くそう願っています。