「15歳の私に今できること」

長崎県 佐々野 桜

1945年8月9日11 時2分、長崎に1発の原子爆弾が投下され、多くの罪のない人々の命が奪われました。あれから59年経った今、長崎の街に当時の面影はなく、私たちは、繁栄 された豊かな社会の中で何不自由なく暮らしています。しかし、それとは裏腹に私たちは、あの日の出来事を忘れかけてきているのかもしれません。
私は、小学生のときから老人ホームへボランティアに行っています。お年寄りから、被爆体験を聞くなかで「戦争は、だめなんだ。」というのが、私の平和に 対する単純な考え方でした。しかし、小学生のときに参加した第1回長崎NGO世界大会で、私の単なる戦争反対の声が、打ち砕かれてしまいました。そのとき 出会った第3回高校生平和大使の方が、「平和は、ただ願っているだけでは、何も変わらない。自分から行動を起こさなきゃ。」と、言われたからです。それ以 来、私は「自分にも何かできることを。」と、強く考え始めました。そして、やっとその思いが叶い、当時新聞などで紹介されていた長崎の高校生が、一万人の 署名を目標に核兵器廃絶を呼びかけ、平和大使に託してスイス・ジュネーブの国連欧州本部に持って行くという「高校生一万人署名活動に」中学生のときから参 加しています。
この活動をしている中で、通りすがりの人たちから「核兵器を持っていても、いいじゃないか。」「あなたたちは、大人から利用されているだけじゃない か。」と目の前で言われたりもしました。ある時、被爆者の方から「原爆は、遭うたもんにしかわからん。」と言われたとき、「私は、いったい何のためにこの 活動をしているのだろう?本当に私は、この署名活動をしていて平和を築いていけるのか?」という疑問が強く残り、悩んだときもありました。しかし、私の平 和への思いは人一倍強く、少しでも世界が変われば、と願いながら、この署名活動をしています。
また、鉛筆とミサイルの形が似ていることから、高校生一万人署名活動のなかで、「ミサイルよりも鉛筆を!」という、貧しい国の人々に学用品を送るという 活動がありました。「自分にも何かできないか?」と考え、当時中学2年生だったクラスに呼びかけ、何百という文房具が集まったこともあります。
そんな中、自分で平和な世界を願う前に、原爆を体験した人たちに直に話を聞いて見たいという思いが募り、ある施設に電話をして、被爆者の方々と交流を持 つことができました。その中で月に数回、ヴァイオリンの演奏などをしていたときのことでした。「ふるさと」を演奏していると、一人のおじいさんが泣き出し たのです。その後、その方のお部屋に伺い理由を聞くと、「私が、兵隊に入っていたころ、「ふるさと」を歌いながら、戦友たちを戦地へ送り出してね。この歌 を歌いながら、必ず生きて帰って来いよ!といっていたんだよ。」と、大粒の涙をこぼしながら話をしてくれました。この話を聞いて、60年近く経った今も、 そのことを思い出すと涙が出るくらい、心に深い傷を負っているんだということが、とても強く印象に残りました。
そして、被爆体験を話してくださったおばあさんの中に、涙ぐみながら「あなたたち若い世代が、私のこの被爆体験を語り継いでいってほしい。」と、手を握りながら言わ れたりもしました。また、8月6日に広島で、8月9日に長崎で2度も被爆をされた方がおり、あらためて被爆の実態に直面させられました。今は病に伏してお られ、直接お話を伺うことはできなかったのですが、この方々の平和への願いや、被爆体験を私たち若い世代が、意思表明をして平和のバトンを、受け継がなけ ればならないではないでしょうか?
そんな今、私たちには何ができるのでしょうか?まずは、平和に対しての意識や考えを一人一人が、しっかりと持つことが大切だと思います。そして、人を思 いやり、互いに理解し合おうとする感情を共有することで、そこから平和への第一歩を踏み出せるのではないのでしょうか?
現在、世界中では様々な問題が起こっています。それらのすべてに対して、自分が何をしようと思っても、できることはごくわずかです。でも、自分にしか訴 えられないことを、同じ意思を持った仲間たちと訴えるなら、その力というものは何倍にもなるのではないでしょうか?長崎に生まれた私たちにとっての理想 が、「核兵器廃絶と平和な世界の実現」であって、その手段が、「高校生一万人署名活動」なのだと思います。
中学生のときから、参加してきた高校生一万人署名活動は、私自身の中の様々な思いや、考えを大きく変えるきっかけとなりました。被爆地長崎に生まれた一 人の人間として、あの日と同じようなことを、二度と繰り返すな!と声を上げて平和を願っています。被爆者の高齢化が進むなか、私たち若い世代が、一人でも 多くの人に原爆の恐ろしさ、争うことの醜さ、戦争の悲惨さ、そして平和の大切さを受け継ぎ、語り継いでいくことです。被爆者の方から手を握りしめながら言 われた言葉は、私自身に、「この方々平和への思いを、次の世代に訴えなければ!」と、強く決意させてくれました。今、私は、小学6年生のときに出会った高 校生平和大使のように、スイス・ジュネーブの国連欧州本部に行き、市民から託された平和への思いを、世界中の人々に伝えたいという夢があります。そして、 それが15歳の私にとっての使命です。