神奈川県横浜市栄区飯島町489-1

第46回大会最優秀賞

1956年(昭和31年)から続く日本語による弁論大会です。

「クリームあんみつな日々」

宮城県 長峯 深雪

「こわれていく、こわれ ていく、あ、また分からなくなっていく」白い壁にも青白い顔にも赤い血が滲んでいるのも気付かずに少年は、自らの額を壁に打ち続けていました。そんな時、 私はどんな言葉をかけたらいいのだろう。私が精神病院のケースワーカーとして勤務していた頃、毎日がこんなことの連続でした。
日本の人口の0.8%、100人に1人といわれている分裂病を始め、精神病といってもさまざまなものがあります。
私が学生の頃、分裂病患者の三分の一はずっと入院、三分の一は服用をしながら何とか社会復帰、残りは自殺、と聞いて衝撃を受けました。しかし、現場で働 いているうちにそれが適当なことではないこと知りました。発病の原因は、さまざまな説がありますが、心理的・社会的要因、遺伝などはっきりしていません。 以前私がNPO団体の方達の前で講演させていただいた際、分裂病は頭の病気ですか、それとも心の病気ですか、長峯さんの正直な意見を聞かせてくださいさい と言われました。私は大変迷い、あくまでも私個人の意見と強調した上で、三割が頭、七割が心、と思いたいですと答えました。決して特殊なことではなく、少 し心の調子を崩してしまう、崩したとき建て直しが人よりうまくできないだけだと私は思いたいですと。
今年の3月に病院を辞め、現在私は精神障害者生活訓練施設宮城県援護寮でソーシャルワーカーとして勤務しています。援護寮とは、回復途上にある精神障害 者に生活の場を与え、生活指導などを行い、社会復帰の促進を図る施設です。入寮者の多くは病院から来た方で中にはかなりの長い期間、10年20年以上と入 院していた方もいます。長く入院していた理由は、さまざまですが、病状が不安定だったことより、受け入れ先がなく、いわゆる社会的入院を余儀なくされてい た方が少なくありません。 援護寮で生活しているAさんは生後まもなく両親が離婚し、養子に出されました。18歳で分裂病になり養子縁組は突然解消され戻 る家も、引き受ける家族もなくなり、病状が安定しているのにも関わらず、23年間退院することができませんでした。 入院先の病院でAさんと初めて面接し たとき
「私には面会の人も電話も来ません。電話をかける相手も、手紙を書く相手もいません」といいました。入院する必要がないのに23年間、閉鎖病棟にいたのです。
晴れて、援護寮に入院したAさんは、毎日が初めての連続でした。ある日、私と喫茶店に行きました。私の注文したものをじっと見つめ
「それは何ですか」
「クリームあんみつですよ」
自分の注文したコーラを一気に飲み干し、クリームあんみつを急いで注文し、これまた一気に食べ
「おいしいです、おいしいですねぇ」
と連呼していました。ハンバーガー、シェーク、生寿司、ホットケーキ、チャーシューメン、初めて口にしたものの中で、クリームあんみつは、アイス、あんこにフルーツと理想のものだったようです。
つい先日Aさんと散歩していたとき
「ねぇ長峯さん、稲刈りが終わった後って幸せの匂いがするね」
「幸せの匂いって?」
「んー何ていうのかなぁ、ご飯が炊きあがったときの匂いかなぁ」
皆さんには幸せの匂いが分かりますか?
今援護寮では、地域で生活できるように支援しながら精神病を持つ人に対する世間一般の人々の理解を得る、という作業は日々困難を極めています。 マスコ ミを賑わせているような犯罪を犯す人なんでしょう?こっちのいってることは理解できるの?など、偏見は根強くあります。身体障害、知的障害、精神障害の3 障害の中で、一番なじみがなく身近ではないのが精神障害のようです。
皆さんには、ストレスはありませんか?
壁に額を打ち続けている少年を見ながら、自分は絶対こんな風にならないという自信を、確信を私は持てませんでした。心の調子を崩し、建て直しができない ときがあるかもしれません。私はまた、明日から、幸せの匂いを感じたり、クリームあんみつを食べたり、Aさんが念願の一人暮らしができるよう、全力で支援 していきます。
皆さんにも、幸せの匂いを、クリームあんみつを、食べられる喜びを、ご理解いただきたいと心から願います。